平成28年の最高裁決定により、預貯金債権が遺産分割の対象に
従前、預貯金は、理論上、相続開始と同時に当然に相続分で分割され、遺産分割の対象とはならないと解されてきました。家庭裁判所の遺産分割調停・審判においても、相続人全員の合意がない限り、預貯金は対象に含めないこととされていました。
しかし、このような解釈では遺産分割紛争の解決が図りづらいことも多く、一般的な感覚にもそぐわないものであったことなどから、平成28年12月19日最高裁大法廷決定において、預貯金も、相続開始と同時に当然に相続分で分割されることはなく、遺産分割の対象となることが判示されました。
相続法改正で、預貯金払戻に関する新たな制度が創設
従前の「預貯金は相続開始と同時に当然に相続分で分割される」という考え方であれば、理論上、相続人は預貯金について、自分の相続分については、単独で金融機関に払い戻しを請求できるとされてきました。もっとも、現実には、金融機関は、万が一の二重払いのリスクを恐れ、預金の払戻には共同相続人全員の署名・押印を求めるのを通常の対応としてきましたが、例外的に、葬儀費用などで、どうしても至急資金が必要と思われるような場合には、金額を限って一部の相続人への払戻に応じるといった対応を取ることもありました。
これに対し、上記の平成28年最高裁決定の考え方によれば、遺産分割がなされるまでは、預貯金債権は共同相続人全員が共同して行使しなければならない、ということになり、理論上も、相続人全員の同意がなければ、預貯金の払戻は困難ということになりました。
遺産分割には長い期間を要することもよくあります。その間、預貯金の払戻を一切受けられないとすれば、葬儀費用の支払や、被相続人に扶養されていた相続人の生活費等が賄えない、といった不都合が生じる恐れが懸念されます。
そのため、相続法改正により、遺産の預貯金の払戻に関し、
- 家庭裁判所の判断を経ない払戻制度の創設(改正民法第909条の2)
- 家事事件手続法上の保全処分の要件を緩和(改正家事事件手続法第200条第3項)
の2つが認められることになりました。
これらは、2019年7月1日から施行されます。
①家庭裁判所の判断を経ない払戻制度の創設
各共同相続人は、遺産の預貯金のうち、各口座ごとに、
【相続開始時の預貯金額×3分の1×払戻を求める共同相続人の法定相続分】
の計算式で算出される額までについては、他の共同相続人の同意がなくても、単独で払戻が受けられることになります。
但し、各金融機関ごとに150万円が上限とされます(民法第909条の2に規定する法務省令で定める額を定める省令・平成30年法務省令第29号)。
同一金融機関の複数の支店に口座がある場合でも、その金融機関からは合計150万円までしか払戻は受けられません。
また、上記の計算式のとおり、相続開始時の預貯金額を基準に払戻可能額が算定されることに注意が必要です。
例えば、相続開始後に、遺産の賃貸マンションの賃料が当該口座に入金され預貯金残高が相続開始時より増えたとしても、この制度による払戻は、あくまでも相続開始時の残高を基準に算定された限度額までしか払戻請求できません。
この払戻は、家庭裁判所の手続を経ることなく、金融機関の窓口で手続できます。
先に述べたとおり、施行日は2019年7月1日ですが、施行日前に開始した相続に関しても、施行日以後にこの制度による払戻を求めることが可能です。
払戻にあたっては、①被相続人の死亡の事実,②相続人の範囲、③払戻を求める者の法定相続分、の3点がわかる資料(戸籍全部事項証明書や法定相続情報証明書等)の提示は必ず要求されると考えられますが、具体的な手続や必要な書類は、各金融機関が定めるところになります。
この制度による払戻がなされた場合、払戻を受けた相続人は、遺産の一部分割により、これを取得したものとみなされます。
なお、被相続人の遺言がある場合は、遺言の内容によっては、この制度による預貯金払戻の対象とならないことがありますので、この点も要注意です。
②家事事件手続法上の保全処分の要件を緩和
現行の家事事件手続法においても、遺産分割がなされる前に預貯金の払戻を受ける手段として、同法第200条第2項に仮分割の仮処分の制度がありますが、「事件の関係人の急迫の危険を防止するため必要があるとき」に認められるとされ、要件が厳格なものでした。
改正法では、その要件が緩和され、家庭裁判所は、
- 遺産分割の審判又は調停の申立があった場合に
- 相続財産に属する債務の弁済、相続人の生活費の支弁その他の事情により遺産に属する預貯金債権を行使する必要があるときは
- 相続人の申立により
- 他の共同相続人の利益を害しない限り
預貯金債権の全部又は一部を仮に取得させることができる、とされました(改正家事事件手続法第200条第3項)。
なお、預貯金債権行使を必要とする事情として挙げられている「相続財産に属する債務の弁済」や「相続人の生活費の支弁」はあくまでも例示であり、これらの事情に限られません。具体的にどのような場合にこの仮処分が認められるかは、担当する裁判官の判断に委ねられることになります。
また、他の共同相続人の利益を害しないかどうかも、担当裁判官の判断となりますが、法制審議会(民法(相続関係)部会)の追加試案補足説明によると、原則としては、遺産の総額に申立人の法定相続分を乗じた額の範囲内で仮分割を認めることが想定されているようです。
もっとも、事案によっては、被相続人の債務を弁済する場合など、後々の相続人間の求償において処理できるような場合に、上記の範囲を超えた仮分割が認められることもあるようであり、他方、預貯金のほかは、一応の資産価値はあるが、市場流通性の低い財産が大半を占めている場合などには、当該預貯金の額に申立人の法定相続分を乗じた額の範囲内に限定するのが相当な場合もあると考えられています。
[弁護士 奥田聡子]