神戸市が認知症事故に救済制度を創設
先月末頃の報道によると、神戸市が、認知症と診断された高齢者等が起こした事故などについて、上限付きの給付金を支給する救済制度の創設を決めたとのことです。
今後、年度内に救済制度を盛り込んだ条例案をまとめて市議会に提案し、2019年度からの運用開始を目指すとしています。
給付金は公費負担を柱にし、金額は犯罪被害給付制度や自賠責保険の上限額3000万円を参考に検討するとのことであり、対象者や対象事故の詳細は今後さらに協議・検討される模様です。
大和市は事故に備えて損害保険に加入する議案を可決
また、神奈川県大和市は、市が保険契約者、徘徊の恐れのある高齢者等を被保険者として、踏切事故などにより第三者に負わせた損害を補償する賠償責任保険に加入する補正予算案を可決しました。
保険の対象者は「はいかい高齢者SOSネットワーク」の登録者とし、補正予算額として初年度の保険契約料約323万円が計上され、事故を起こした徘徊者のけがなどを補償する傷害保険にもあわせて加入するとのことです。
認知症による徘徊で生じた損害の責任は誰が負うのか~最高裁平成28年3月1日判決
このように、自治体が認知症の人が起こした事故への補償問題に取り組む契機となったのが、最高裁平成28年(2016年)3月1日判決です。
判決当時かなり話題になりましたので、ご記憶の方も多いと思います。
事故は2007年に愛知県で発生しました。
認知症の高齢男性が徘徊中に鉄道線路に立ち入り、列車に衝突して死亡したのです。
鉄道会社は、当該事故により列車に遅れが生じ振替輸送費等の損害を被ったとして、死亡した男性の妻と子らに対して、賠償を求める訴訟を起こしました。
1審では妻及び長男、2審でも妻の責任が認められ、賠償が命じられましたが、最高裁平成28年3月1日判決はこれを覆し、妻にも長男にも責任はないと結論づけました。
監督義務者としての責任
そもそも、事故を起こしたのは死亡した男性であるにもかかわらず、なぜその妻や長男が損害賠償を求められる事態となったのでしょうか。
この点、民法713条では、「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない。」とされています。
上記事件の裁判では、死亡した男性は、事故当時、認知症が進行していたために、責任を弁識する能力がなかったと判断されました。
このような場合、当の男性は、上記の民法の規定に基づき、事故によって発生した損害の賠償責任を負わないことになります。
他方、民法714条では、「(略)責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。(略)」とされています。
上記事件の2審判決は、この規定に基づき、妻は監督義務者に当たるとしてその責任を肯定しました。
これに対し、最高裁判決では、同居する配偶者であるからといって監督義務者に当たるとすることはできない、としました。
また、妻は事故当時85歳で、自身も要介護1の認定を受けており、夫の介護も長男の妻の補助を受けて行っていたこと、長男は20年以上死亡男性と同居しておらず、事故直前の時期においても月3回程度週末に死亡男性宅を訪ねていたにすぎないこと、などを指摘して、妻、長男のいずれも、死亡男性の第三者に対する加害行為を防止するために監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず、その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない、として監督義務者に準ずべき者にもあたらないとしました。
もっとも、上記最高裁判決はあくまでも上記の事故に関しての結論であり、認知症患者が起こした事故について常に家族が責任を負わないとしたものではありません。同様の事故が起きたとき、具体的状況次第では、家族が責任を負わなければならない可能性も否定できないと言えます。
また、最高裁判決の事故では、被害者たる鉄道会社は大企業であり、列車の乗客等にケガなどの人的被害はありませんでしたが、認知症患者の行動によって、万一、第三者がケガをしたり亡くなったりした場合、その損害を誰が賠償するのか、被害者の救済という観点からも非常に深刻な問題となります。
認知症は今や誰にとっても身近な疾患であり、今後患者数は益々増えていくことが予想されています。
不幸な事故を防ぐための取り組みは勿論、万一事故が起こってしまった場合の補償についても、社会全体で支える仕組みが必要と言えるでしょう。
冒頭でご紹介した神戸市の救済制度の規定案では、認知症と診断された神戸市民が交通事故や暴力行為などで第三者にけがをさせた場合を想定し、加害者が市外の人でも被害者が市民であれば適用されるとのことです。鉄道事故による列車遅延や火災などの物損などについて対象に含めるかは、今後の検討に委ねられるようですが、大和市の取り組みも含め、自治体がこのような対策に乗り出したことは大変意義のあることであり、今後の拡がりを期待したいと思います。
個人賠償責任保険の改定や新たな特約も
上記最高裁判決を契機に、保険会社においても、個人賠償責任保険の改定を行うところが出てきました。
多くの保険会社では、事故を起こした人が認知症などのために責任無能力者であった場合、監督義務を負う別居の親族なども補償の対象とするよう、変更が相次いでなされました。
また、一部の保険会社では、線路内に立ち入って電車を止めた場合のような、人的・物的損害を伴わないようなケースにおける損害をも補償するよう、新たな特約が設けられています。
もっとも、これらの改定や特約は、保険加入時期や更新時期等によって適用の有無が異なることもあり、具体的な補償内容については、加入先の保険会社に個別に確認することが必要です。
また、上記の最高裁判決の事例でも、1審・2審・最高裁で判断が分かれたように、そもそも、どのような場合に、誰に、どのような賠償責任が生じるのかは、法的に非常に難しい判断と言えます。
いざ事故が起こった場合に、保険による補償がスムーズに受けられるかどうかは、事故の具体的状況をふまえた保険会社の判断に委ねられることにもなり、ケースによっては裁判を経ないと結論が出ない難しい判断になる可能性もあるでしょう。
[弁護士 奥田聡子]