ピアノレッスンに著作権使用料?~JASRACと音楽教室の対立

JASRACは音楽教室から楽曲の著作権使用料を徴収する方針

 

今年2月初め,JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)が,来年1月より,音楽教室から楽曲の著作権使用料を徴収する,との方針を明らかにしました。

6月7日には,音楽教室が得た受講料収入の2.5%を徴収する内容の使用料規定を文化庁に届け出た模様です。

これに対して,ヤマハ音楽教室など多数の音楽教室が「音楽教育を守る会」を結成し,猛反発の姿勢を示して対立しています。

音楽教育を守る会は,5月30日に総会を開催し,同会会員による原告団を結成のうえ,6月20日,東京地方裁判所に,JASRACを被告とする請求権不存在確認訴訟を提起したとのことです。 

 

筆者も子どもの頃から音楽が好きで複数の楽器を習った経験があり,大手の音楽教室に通ったこともあります。

受講生の立場からすれば,著作権使用料が課せられればレッスン料が値上げされてしまうのでは?と心配にもなりますよね。

 

過去の判例から考えると,JASRACに分がある?

 

著作権法22

「著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。」

と定めています。

 

JASRACの主張の根拠は,

音楽教室における音楽著作物の利用は不特定の顧客(受講者)に対するものであるから,著作権法22条に定める公の演奏にあたるというものであり,JASRACが管理している楽曲に関する著作権使用料を音楽教室は負担すべきである,

というものです。

 

この点,一般的には,「公に演奏する」=聴衆の前で演奏するコンサートのようなものをイメージされる方が多いかと思います。音楽教室のレッスンは,通常,生徒は一人か,多くても数名で,閉鎖された室内で行われることがほとんどでしょうし,聴衆がいるわけでもありません。「音楽教室での演奏は公の演奏にあたる」というJASRACの主張に違和感を覚える方が多いのも理解できるところです。

 

しかしながら,JASRACが根拠として挙げる判例として,社交ダンス教室におけるCD等の再生演奏が公の演奏にあたるとしたものがあります(名古屋高裁平成16年3月4日判決。平成16年9月28日最高裁上告不受理決定により確定)。

この判例では,

社交ダンス教室は格別の条件を設定することなく受講生を募集しており,受講を希望する者は所定の入会金を支払えば誰でも受講生となれるのであり,教師の人数や施設の規模といった人的,物的条件が許容する限り,何らの資格や関係を有しない顧客を受講生として迎え入れることができ,このような受講生に対する社交ダンス指導に不可欠な音楽著作物の再生は,組織的,継続的に行われるものであるから,社会通念上,不特定かつ多数の者に対するもの,すなわち公衆に対するものと評価するのが相当である,

と判断されました。

 

現在,JASRACは,社交ダンス教室のみならず,フィットネスクラブ,カルチャーセンター,社交ダンス以外のダンス教室,カラオケ教室,歌謡教室から,既に著作権使用料を徴収しているとのこと。

JASRACによれば,長年,音楽教室に関しても著作権使用料徴収の交渉協議を重ねてきたが,応じてもらえないので,今回の方針に至った,とのことです。

 

 

音楽教室のレッスンにおける演奏主体は誰か

 

では,上記社交ダンス教室の判例は,音楽教室でのレッスンにも全く同様に当てはまるのでしょうか。

 

この点,社交ダンス教室と音楽教室とでは,演奏主体は誰か,という観点で,若干違いがあると思われます。

ダンス教室における音楽の演奏(CDの再生)の主体は誰か,というと,それはダンス教室と考えるのが自然でしょう。楽曲にあわせて踊っているのは受講生ではありますが,楽曲使用の要否や選曲は教室・講師側の判断で行うでしょうし,レッスンの過程で曲の再生タイミングの判断や操作も講師が行うでしょう。物理的に楽曲を使用(再生)している主体はダンス教室であるとの点は特に異論はないかと思います。(上記社交ダンス教室の判例でも,楽曲使用の主体が教室であることは争点になっていません。)

これに対し,音楽教室のレッスンでの楽曲の演奏は,受講生自身の生演奏が中心です。受講生自身が,実際に楽曲を演奏し,講師に聞いてもらって指導を受ける,というのが主なスタイルでしょう。講師が模範演奏を受講生に聞かせるような場面をとりあえず別とすれば,レッスン中の受講生自身の演奏については,物理的な演奏主体は受講生自身に他なりません。この点で,ダンス教室と音楽教室とは状況が異なっていると考えられます。

そして,先の社交ダンス教室判例を前提にすれば,「公衆」=受講生ということになるでしょうが,仮に音楽教室の場合もそうだとすると,演奏主体である受講生が自分自身に聞かせる目的で演奏している,といういささか観念しづらいことになり,「公衆に聞かせる目的の演奏」とは言いにくいのではないか,という疑問が生じてきます。仮に,受講生複数でのグループレッスンの場合でも,受講生自身はあくまでも講師の指導を受けるために演奏しているのであって,他の受講生に聞かせるために演奏しているわけではないでしょう。

また,受講生自身が演奏の主体であれば,仮に著作権法22条の公衆に聞かせる目的の演奏にあたるとしても,著作権法38条1項に定める「非営利」「聴衆から料金を徴収しない」「出演者等が無報酬」に該当すると考えられ,著作権侵害にあたらず,著作権使用料は発生しないことにもなりそうです。

 

『カラオケ法理』

 

もっとも,実際に演奏しているのは受講生であっても,著作物を利用している主体は音楽教室であると捉える考え方が適用されれば,話は変わってきます。

この点に関して,『カラオケ法理』とよばれる考え方があります。

『カラオケ法理』とは,カラオケ店において,実際に歌を歌っているのはお客さんですが,著作権との関係では,侵害主体を物理的な行為者(客)に限定せず規範的に捉え,客に歌唱をさせて利益を得ているカラオケ店自体を侵害主体とする考え方です。昭和の終わり頃,カラオケが世の中に広まるに伴い,カラオケ店を著作権侵害の主体と認める判決が現れるようになり,「クラブキャッツアイ事件」において最高裁がこれを認めました(最高裁昭和63年3月15日第三小法廷判決)。

この最高裁判決では,「侵害行為を誰が管理・支配しているか」及び「侵害行為による利益が誰に帰属しているか」という観点から著作権侵害の主体が捉えられています。

 

その後,デジタル・ネットワーク技術の発展により,従前は考えられもしなかった著作物の利用形態が生じるに伴い,カラオケ店にとどまらず,

  • 家庭用ゲームソフトの改変のみを目的とするメモリーカードの輸入販売業者(ときめきメモリアル事件,最高裁平成13年2月13日判決)
  • テレビ番組録画転送サービス業者(ロクラクⅡ事件,最高裁平成23年1月20日判決)
  • テレビ放送デジタルデータ化自動送信機器(ベースステーション)のサービス業者(まねきTV事件,最高裁平成23年1月18日判決)

 

などの著作権侵害を認める裁判例が現れ,カラオケ法理における「管理・支配」「利益の帰属」という観点だけでなく,より総合的に,誰が枢要な行為をなしたか,という観点から著作権侵害の主体を判断する考え方も示されるようになりました。

 

このような判例の考え方からすると,音楽教室のレッスンにおける演奏主体についても,規範的に捉えて検討する必要がありそうです。

仮に『カラオケ法理』に則して考えてみると,音楽教室におけるレッスンは,音楽教室に受講生が通い,音楽教室内のレッスン室において,音楽教室の楽器(ピアノ等)を使用してなされるケースが多いでしょう(持ち運べる楽器の場合は,受講生が自分の楽器を持参することも多いとは思われますが)。レッスンの進行は講師の指示によって行われるのが通常であり,レッスンで用いる曲も講師が選択決定していることが多いと思われます。このような状況からすれば,レッスンにおける演奏を「管理・支配」しているのは音楽教室であると言えそうに思われます。また,音楽教室は,レッスンを支配管理してレッスン料という営業上の利益を上げている者にほかならないでしょうから,音楽教室への「利益の帰属」も肯定できるでしょう。

報道によると,JASRACは,使用料徴収の対象について,講師が指導のために演奏するものも,生徒が練習で演奏するものも含む,としているようですので,JASRAC自身,音楽教室におけるレッスン内容の中核を占める受講生自身の演奏に関しても,『カラオケ法理』のような考え方に依拠して,著作権との関係では演奏主体=音楽教室自身であると考えていると思われます。

 

ただ,そもそも,楽器の演奏技術を教える音楽教室自体は,決して近時の新技術によって現れてきた業態ではありません。筆者が子どもだった昭和40年代には,既に音楽教室は多数存在していました。ちなみに,ヤマハ音楽振興会のウェブサイトによると,昭和29年に,ヤマハ音楽教室の前身となる教室が開始されています。また,カワイ音楽教室のウェブサイトによると,1956年(昭和31年)にカワイ音楽教室は誕生したとのことです。

さらに言えば,個人の先生が生徒に楽器演奏を教える教室はさらに古くから存在していたのではないでしょうか。

JASRACは,徴収が進めば,個人の音楽事業者にも対象を拡げる方針のようですが,このように古くから存在する音楽教室という形態・業態において,受講生がレッスン中に楽曲を演奏することについてまで,著作権法の条文上必ずしも明確ではない『カラオケ法理』のような考え方を拡げてしまえるのかどうか,筆者としては,いささか疑問がないわけではありません。果たして裁判所がどのような判断を下すのか,注目したいところです。

 

なお,音楽教室のレッスンでも,講師が楽曲の模範演奏をして受講生に聞かせることや,レッスン中にCDを再生して受講生に聞かせることもあるでしょう。このような演奏・再生については,そもそも物理的にも音楽教室側が主体といえるでしょう。もっとも,そういった演奏・再生がレッスンに占める割合は,ごく一部にすぎないと思われます。

 

「聞かせることを目的として」と言えるか

 

音楽教育を守る会のウェブサイトによると,音楽教室側は,聞く者に感動を与えるという音楽の芸術的価値を享受させるための演奏が「聞かせることを目的」とした演奏であり,コンサート,ライブ,カラオケ等はまさに「聞かせることを目的」とした演奏である,としたうえで,音楽教室での教師の演奏,生徒の演奏いずれも,生徒が演奏技術を教わるために行われるものであって,しかも,その演奏は,曲の一部分について行われることがほとんどであり,音楽の芸術的価値を享受させるための演奏ではなく,「聞かせることを目的」とは到底言えないとも主張しているようです。

 

上記主張の「音楽の芸術的価値を享受させるための演奏」とはいかなる意味なのか,今ひとつよくわかりませんが,仮に,何らかの技術を教わるために(いわば指導の手段として)楽曲を使用する場合は著作権法22条の「聞かせることを目的」とした演奏ではない,という意味だとすれば,ダンス技術の指導のためである社交ダンス教室における楽曲の使用も同じ結論になりそうに思われます。しかしながら,先にも述べたとおり,社交ダンス教室の判例では(そもそも「聞かせることを目的」かどうかは,直接的な争点にはなっていなかったようではありますが)著作権法22条の演奏にあたることが認められている以上,上記主張が今回の裁判で認められることは,そう容易ではないでしょう。

 

もっとも,「聞く者に感動を与える」という観点からみると,特に,楽器を始めたばかりの初心者の演奏は,まだまだつたない面は否めないでしょう。「聞く者に感動を与える」演奏としては,音楽教室のレッスンにおける受講生の演奏は途上段階である場合が多いとも言えそうです。これに対し,社交ダンス教室で流される楽曲は,プロの演奏によるCDなどがほとんどでしょうから,演奏としては完成されており,聞くものに感動を与える演奏と言いやすいかもしれません。

 

「教育目的」は決め手になるのか?~昨今の音楽教室の現状は

 

なお,JASRACの方針に反対する立場からは,音楽教室での演奏は将来の音楽家を育てる教育目的だから著作権法が及ばないのではないか,との主張も見られます。

 

この点,著作権法は,著作権者に著作物の独占的利用権を認める一方,私的利用や,営利を目的としない場合の例外などを認めることによりバランスを取っています。例えば,学校の授業での演奏に著作権使用料が発生しないのは,単に教育目的であることが理由ではなく,著作権法38条1項に定める「非営利」「聴衆から料金を徴収しない」「出演者等が無報酬」に該当すると考えられているからです。

これに対し,演奏主体を(受講生自身ではなく)音楽教室と捉えるのであれば,音楽教室が営利目的を有していない,とはなかなか認め難いでしょう。

 

また,音楽教室は教育目的の場である,という主張自体,筆者としては,昨今の音楽教室の現状はかなり変化してきているのではないか,と感じます。

確かに,もともとは,音楽教室のレッスンは子供向けがほとんどであり,かつ,生徒の演奏技術の向上を目指し,進度に応じたクラシック曲を使用するメソッド的な指導が一般的であったと思われます。

しかし,近時,少子高齢化を反映して,大人向け音楽教室が花盛りです。レッスン方法も,簡単な練習曲から始めてコツコツと順を追って演奏技術を習得していく,というよりは,初心者でも,最初から好きな曲を自分のレベルにあわせて演奏することを目指すようなレッスンも見受けられます。使用する楽曲に関しても,クラシック以外の楽譜が容易に入手できるようになったこともあり,Jポップやアニメソング,映画音楽等々,非常に多様化してきているように感じます。

筆者が見聞きしたところでは、情熱大陸のテーマソングを弾きたいがためにバイオリンを習い始めた大人の方がおられ,講師の先生も,テクニック的な上手い下手はとりあえず横において,とにかくその曲を弾けるようになることを第一目標にしてレッスンをしている,といった話をうかがったことがあります。また,大好きな韓流ドラマの主題歌を弾きたくてピアノを習い始めたという大人の方が,初めての発表会でそれを披露すべくレッスンに励んでおられたこともありました。大人のレッスンにおいては,この曲を弾いてみたい,という想いが楽器を習い始める動機やモチベーションになっていることも少なくないと思われます。

 

このような昨今の状況からすれば,音楽教室は,将来の音楽家を育てる「教育」の場ということにとどまらず,むしろ大人の娯楽・趣味のための教室としての面が増してきていることは否定できないでしょう。

 

 

使用料の算出方法や徴収方法には大いに議論の余地

 

もっとも,仮に,音楽教室のレッスンに関し,著作権の規制が及ぶのだとしても,著作権使用料の算出方法や徴収方法については,大いに議論の余地があると思われます。

 

先に述べたように,そもそも音楽教室での受講生自身の演奏について,演奏主体を受講生のみとみるのか,音楽教室側にも主体性を認めるのか,によっても,結論は大きく異なるでしょう。仮に,受講生自身の演奏について,主体はあくまでも受講生のみとみるのであれば,音楽教室のレッスン中,著作権侵害となる演奏は非常にわずかな部分(講師が演奏をするとか,講師がCDを再生して受講生に聞かせるなどの場面)に限られるのではないでしょうか。

 

また,音楽教室では,今なおクラシックの楽曲のレッスンも多く行われているでしょうが,クラシックの多くは作曲者がとうの昔に亡くなっているのでそもそも著作権が及ばないものが多数です。レッスンでは,楽曲を使用しない音階・ロングトーン,リズム打ちといった基礎練習・指導に相応の時間を割くこともあるでしょう。また,JASRAC管理の楽曲を使用する場合でも,曲のわずかな一部の部分のみレッスンする日もあれば,鍵盤楽器ならば,メロディラインではない左手の伴奏パートだけレッスンする,なんていう日もあるかもしれません。

個々の音楽教室のレッスンで,JASRAC管理の楽曲がどの程度使われているのか,実態を反映した合理的な使用料算出・徴収方法を定めるには,多様な意見がありうると思います。

 

JASRACは年間受講料の2.5%を徴収する方針を示したようですが,金額の問題については交渉に応じる姿勢を有しているとも報じられています。

仮に,使用料徴収の方針が実施されるとしても,音楽を学ぼう・楽しもうとする人々に過度の負担とならないよう,著作権者のみならず多くの音楽愛好者が納得できるような,合理的かつ公正な徴収方法・金額が検討・設定されるべきでしょう。

 

[弁護士 奥田聡子]

2017年6月28日 | カテゴリー : 法律コラム | 投稿者 : okudawatanabe